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「ふしぎばなしの夕べ」
前半 p.4

吊りちょうちん

【 タヌキ囃子 】

 

遠森■ それから、タヌキの腹鼓というのもちょっと妙で、タヌキあんなことしませんよね(笑)。だけど昔の人は、「腹鼓の音がした、した」というんですよ。

 これは東京や大阪のような都市部でもそうで、しかも「大音量で聞こえた」と言うんです。「かすかに聞こえた」なんてもんじゃない。「うるさくて眠れない夜があった」と言うんですよ戦前までの人は。

 

亀田● タヌキ囃子が聞こえたというのは、よく「風に乗って遠くの遊興が聞こえた」と言われるけれど、そんなものじゃないと。

 

遠森■ うん、そのレベルじゃないんだ。

 それでこれ、亀田くんはご存知なんだけど、私の家って「長唄」の家系なんですよ。常磐津、清元、義太夫などと並ぶ日本の伝統芸能のひとつです。

 そういう家系で、花柳界との付き合いもあったので、昔の吉原などの遊廓、花街のことを調べてみたんですね。

 

 そしたら、宴会をひらいていた時間って、意外と早く終わっていて、午後8時までなんです。

 でもタヌキの腹鼓に惑わされる時間って、もっと深夜なんですよ。

 そんな遅くまでお囃子を奏で、歌い踊って騒げたのはお祭りの日だけ。それも花街ではなく、お祭りの会場と、それに関わる料亭などに限られていたそうです。ほんの百年前までの街は、私たちが考えるよりずっと早じまいで、静かだったんですね。

 

亀田● ふむふむ・・・

 

遠森■ だもんで、タヌキ囃子については、現代の人が「遠くの遊興が聞こえた」と分析することが多いんだけども、昔は深夜の遊興自体が禁じられてたから、それはあり得ない。

 もし本当に遊興の太鼓が聞こえていたのだとすると、それはそれで「幻の演奏を聞いた」という怪異現象になっちゃうんで、やはり科学的説明にはならないんですね。

 

 ・・・というわけで、この場合は妖怪やマヨイガのような「姿かたち」を伴わないけど、これも何か「太鼓の音を真似してみたい、太鼓の音になりたい」という者がいたのかもしれません。

 

 それで、皆さまにおうかがいしますが、タヌキの腹鼓とか、それに近いものを聞いた方、いらっしゃいますか。例の「ポンポン」という音でなくてもいいので、たとえば山を歩いてたらそういう変な音が聞こえた、という体験をお持ちの方・・・。

 

S◆ はい。

 

亀田● あ、Sくん、どうぞ。

 

S◆ タヌキではないのですが、むかし、うちで犬を飼っていまして、その犬が亡くなったときかな、うち、縁側に台があって、犬はいつもそこで寝ていたのです。

 それで、鎖でつないで飼っていたので、台から降りるときには「カラカラ・・」と音がしていたんですよ。また、鎖を引っ張るときは、金属ですので「ガラガラ・・」という音がしていました。

 

亀田● ああ、なるほど。

 

S◆ それが、その犬が亡くなったあとも、そういう鎖の音が聞こえていたのです。あと、ふすまがサッと閉まったり。

 

亀田● それはSくんのうちで?

 

S◆ はい。うちです。

 

遠森■ 結構怖いですね。

 

S◆ うちの母も結構見える人で、「誰も居ないのに歩いている音がする」と言って、怖いから全部鍵を締めてくれと頼まれたりしました。そういうことは多々あります。

 

遠森■ そうですか。(亀田のほうを向いて)そういうことなんだろうね、いつものカラカラという音を何かが聞いて、真似してるわけでしょう。

 

亀田● うん。それを昔はタヌキのせいにしたりしていたんだ。「汽車に化けた」なんて話もあるよね。

 

遠森■ あ! そうそう、「汽車に化けた」

 

亀田● あれも何者かがやっていたのかもしれない。

 

遠森■ 「汽車に化けた」のは、本当にあったらしいよね。皆さんご存知ですか、汽車に化けたタヌキの話。

 

亀田● 汽車が正面衝突するんですよ。夜、汽車を運転していると、いきなり正面からもう一台の汽車がこっちに向かってくるんです。

 それでぶつかるんだけど、不思議とダメージがなくて、線路に降りてみたらタヌキが死んでいた、つまり相手の汽車はタヌキが化けていたんだ、という・・。

 

遠森■ そうそう。私が昔、民話本か何かで読んだ話では、タヌキの機関車は何度か本物の汽車を急停止させて、いたずらを成功させるんです。

 でも鉄道会社のほうだって、化かされてばかりではたまらないから、ある機関士が思い切ってブレーキかけずに突っ込んでいく。

 それで、すわ衝突かと思うとそんなことはなく、相手の汽車は消え、代わりに線路端でタヌキが死んでた・・・なんてストーリーで描かれていました。

 でも今考えると、それもタヌキかどうかは分からないよね。

 

亀田● そうだね、モドキか何かかもしれない。

 

遠森■ そもそもタヌキって、妖怪の本に描かれるような、ああいう姿じゃないでしょ(笑)。

 

亀田● うん、どこかユーモラスな姿に描かれがちだよね。

 

遠森■ そう。だからもしかすると、ああいう姿になりたい者がいるんじゃないかな。タヌキとキツネとネコ、それから四国ではイヌガミ。

 

亀田● ああイヌガミね。

 

遠森■ うん。あれは犬だと思われてるんだけど、つのだじろう先生の作品で、イヌガミはネズミの眷属だと書かれていた記憶があります。大型の齧歯類だと。

 

亀田● カピバラみたいな感じ?

 

遠森■ うん、それくらいの大きさだと思う。それで、昭和40年代くらいまでは、イヌガミに憑かれた人を棒で叩いていたと。

 

亀田● 叩いてイヌガミを追い出すのね。

 

遠森■ それで叩きすぎて殺しちゃった事例に至って、警察が関与するようになり、「イヌガミに憑かれた人がいたら、叩かずに精神科へ連れて行こう」という啓蒙がなされていったそうです。

 

亀田● 洋の東西を問わず、エクソシストというのは、叩いて除霊することがあったよね。

 

遠森■ あっ、そうだね! そういう「何かが憑いた」という話は、遠野物語にある?

 

亀田● うん、憑き物の話はあるよ。それから「化かされた話」も遠野物語にはいくらでもあって、たとえば友だちが相撲を挑んできて、相撲をとっていたら、魚を盗られていた。それで後日に「お前と相撲なんかしてないよ、さては化かされたな」と言って笑った、なんていう話とかね。

 

遠森■ 面白いね。そういう妖怪の話を聞いていると、何か「真似したい、化かしたい、いたずらしたい」という、向こう側の欲求みたいなのが感じられるよね。

 

亀田● タヌキは化かしてもどこか間が抜けていて、愛嬌がある。一方キツネは実害があって、肥溜めに落とされちゃったりする。そういう違いが、民俗学では語られているね。

 

 

【なぜ《少女》か】

 

遠森■ さっきの少女消失譚をまた引っ張り出してきますが、「なぜ少女か」「なぜ幼い子か」ということなんですけれども、これ、右脳と左脳の働きが関わってきます。

 ただ、諸説あるので、絶対にこの説が正しいとは思わないで頂きたいのですが、いちおう今考えられていることは、右脳のはたらきは「直感」なんですね。

 

 一方左脳は、右脳が捉えたものを「それは違うんじゃないか」と疑い、論理的な回答を得ようとします。

 この両方がうまく協調することにより、我々は社会的判断をしているのですけれども、子供の頃は右脳のほうが強いんですよね。特に女の子は右脳強いです。

 ただし、決してこれはどちらが良いとか悪いとかいう話ではないです。

 

 女の子の右脳が強いのは、端的に言うと「左脳で考えてると逃げ遅れるから」なんですね。直感ってすごく大事なんです。

 そして、女性には「子どもを守る」という役割分担が昔、ありました

 今は男女同権ですので、育児も男女ともにやろうという社会になりましたが、歴史的にみると、「男は社会を作る、女性は家と子どもを守る」という役割分担がありましたよね。

 

 それを考えると、女性が右脳が強く直感力に長けていて、「危ない!」と思ったときに左脳が「それ違うんじゃないの」と疑ってきても「うるさい」と撥ねのけ、すぐに動けるようになっているのも道理なんです。

 

 だもんで、「なぜ少女か」というのは、直感力が長けているから、妖怪などが訴えてくることに対し、敏感にシンクロできる、そういうふうに思うんです。

 

亀田● うん、なるほど。確かにシャーマンって、女性のほうが多いよね。

 

遠森■ あ、そうだ、そうなんだよね! 古今東西、交霊する職業の人は女性が多いんだ。

 たとえば沖縄のユタ、これは東北のイタコのような存在なんですけれども、そのユタのおばさんに、かつて、NHKエンタープライズが脳波の検測をしたことがあるんですよ。

 

 その結果、魂を降ろしている(交霊している)ときのユタの脳は、右も左も活性化しているんですね。でも本来、これはありえないことで、通常の脳は、右が活性化してるときは左はおとなしくしている。その逆の、左が活性化してるときは右がおとなしいんです。

 

 じゃあなぜユタの脳にこういう現象が起きたかというと、霊とシンクロするのが右の担当だというのは先ほど述べたとおりなんで、右脳は当然起きてます。

 でも、「ひとと話す」能力は左脳のほうなんで、これに休んでもらってちゃ交霊依頼者に霊の言葉を伝えられない。

 というわけで、本来ありえないはずの左右同時活性化という現象が発生するんですね。

 

 ・・・と、これくらい右脳というのは「向こう側」とのシンクロに関わっていて、この能力は15歳まで、思春期までが特に強い。向こう側とつながりやすい。だから「お稚児さん」も子どもが務めます。

 

 大人になると左脳の干渉が強くなってきて、社会的概念を持ち出してくるので、右脳がキャッチしたものは否定されやすくなってしまう。そういうことなんじゃないかと私は思っています。

 ですので、子供の頃に経験した不思議な記憶というのは、特に軽視しなくていいと思うんです。

 

亀田● それこそDさんの不思議体験も7歳のときですもんね。

 

遠森■ うん。幼い頃の不思議な記憶を、大人になって「あれは違うのではないか」とみんな考え始めるんですけど、それは左脳がそういうふうに整理しちゃうからなんですね。

 左脳はそれが仕事だから、無理にでもそういうふうに解釈していくんですけど、右脳がキャッチした昔の記憶って、案外本当にあったことなのかもしれませんよ。

 

亀田● 幼い頃、ちゃんと右脳が観測していたかもしれない。

 

遠森■ うん。

 

亀田● 皆さん、ピュアでいましょうね!

 

遠森■ そうそう! ほんとにそれ、このセッションのコンセプトです。幼い頃のピュアな心を忘れずにいましょう!

 

 

 【 R世界、L世界 】 

 

遠森■ 何かそういう幼時体験、少女消失譚とか「できそこない」以外でも、「こんな不思議なことがあったよ」という体験、皆さんありましたら聞かせていただきたいです。

 

亀田● そうですね。

 

遠森■ 最近オカルト好きの間で、よく言われてる言葉として「R世界、L世界」というのがあります。このRとLはライトとレフトです。

 どうも子供特有の精神現象らしくて、たとえば近所の路地を曲がったら、その先に同じ世界があったと。それで自分はそっち側に行ったまま帰ってないんだ、という記憶を持ってる子どもってかなり多いんですよ。

 

 これ実は、私にもそういう記憶があるんです。まさに典型的なR / L世界なんですけど、家の近所の路地を左に曲がったら、いつもは開いていない格子戸があいていた。

 ・・・で、入ってみたらその先には元の世界と似た光景が広がってたんです。それでなぜかそのまま、自宅と似た家に帰って、母親と似た女性に迎えられ、そのまま居着いちゃいました。

 だから私がいま暮らしてる世界は、路地を左に曲がって格子戸をくぐった先のレフト世界で、ホントは私はライト世界で生まれたんです(笑)。

 

 ・・・と、さすがにこれは脳のいたずらでしょうけどね。でも、もしかして本当だったら面白いですよね。そういう「R世界、L世界」という認知が子どもには起こるらしいです。

 そういう記憶がある方、いらっしゃいませんか? 路地を曲がったら別世界だったとか、そこから帰ってきてないとか。

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