「ふしぎばなしの夕べ」
前半 p.7

【 オシラサマ 】
遠森■ では、次のテーマにいきましょうか。亀田くん、また遠野物語からチョイスをお願いします。
亀田● 好きな話はたくさんあるので、迷ってしまいますが、オシラサマはいいですね。馬娘婚姻譚。あれは原典がありまして、中国の「捜神記」という本に書かれています。
その話は、ある家のお父さんがさらわれてしまうんです。それで家族が「もしお父さんを助けてくれたら娘を嫁にやる」と言ったら、飼っていた馬が走り出した。果たして、お父さんは救い出され、帰ってきた。
その後、馬は娘に結婚を迫ります。でも家の者は「畜生が何いってんだ」と、馬を殺してしまう。それで馬に祟られちゃうんだっけな、そんな話だったと思います。オシラサマはそれが元になっていると言われていますね。
当時、シルクロードの終点は大和だけではなくて、十三湊も終点だったと思うんです。十三湊、いまの青森あたりは、今のように寒くなくて温暖で、ずっと栄えていたと私は信じてますので、東北にそういう話が入ってきてもおかしくないなと思います。
遠森■ オシラサマの元は大陸にあったのか・・・。
亀田● うん。馬娘婚姻の話自体は捜神記からだね。ただ、オシラ神というのは下北半島が発祥だと思います。
下北半島のオシラサマは、遠野と同じく対(つい)にはなっているんだけど、包頭(ほうず)をかぶった型なんですよ。包頭を取ると、馬と娘ではないにせよ顔が彫ってあったりします。
そしてそれは、恐山にいるようなイタコが司るものでした。
それが南下してきて、この遠野あたりで馬娘婚姻譚とミクスチャーされ、現在伝わっている形の話になったのだと、私は思っています。
このへんのことは、ロシアの民俗学者、ニコライ・ネフスキーが詳しく書いています。このネフスキーさんは、戦前にスパイ容疑で捕まり、殺されてしまった人で、とても残念です。
ちなみにネフスキーさんは、琉球のほうの神話も調べている方なんですね。それで、調査で滞在していた宮古島には「ネフスキー通り」という道があります。
機会があったら私は、オシラサマのことをもっと調べて、深く掘り下げてみたいなと思っています。
遠森■ オシラサマというのは東北独特だと思っていたんだけど、娘が馬に恋をするという伝説、馬娘婚姻譚自体は、大陸から伝わってるんだね。
あ、それから私たち、さっきから何度も「バローコンインタン」って言ってますけど、これ、耳で聞いただけでは「何ぞや?」と思われそうですが、ウマとムスメの婚姻ばなしと書きます。つまりオシラ系伝説のことです。
こんな分類語があるなら、ほかにどんなお話があるのかなと思って、このあいだ調べたんですが、オシラサマ以外みつかりませんでした。でもいま亀田くんの話聞いて、中国に遡れることが分かりましたよ。
亀田● うん、大元は捜神記のお話だからね。それが伝わってきて、変化もして、オシラサマ伝説になったんだよ。
遠森■ 今でもオシラサマの行事などは受け継がれているの?
亀田● うーん、今は、信仰としてはどうでしょう・・・。オシラ遊びというものは、昭和40年代前半まで行われていた形跡がありますね。Sくん、どうですか? 昭和40年代前半というと、あなたが生まれる前になっちゃいますけど、なにかご存知のことがあれば・・・。
S◆ えー、化粧品会社のイメージCMに出てきましたね、オシラサマ。女の子がオシラサマにおしろい塗って、紅をさしてあげる・・・。
亀田● あ! 宮沢りえちゃんのやつね、あれは風情満点にできていたよね。でもあれ、遠野で撮ってないって聞いたことある(笑)。和室の中だもんね。
遠森■「オシラ遊び」というのがあるの?
亀田● うん、旧正月・・・小正月ね。これは女の正月といわれ、女性の家族だけが集まるんだ。
それで、オシラサマを祀っているのは本家なんで、そこに分家の人たちが集まって、年に一度、オシラサマにおしろいを塗って、お化粧してあげるんだよ。
それから「お洗濯」といって、着物を洗い、新しいものをもう一枚着せてあげる。そういう行事が遠野地方に伝わっている。
まあ、言ってみれば年に一度、オシラサマがスポットライトを浴びる日だよね。
S◆ いったん祀ったら、ちゃんと末代まで祀らないといけない、とも言われています。
亀田● あっ、そうだったね! だからオシラサマはある意味、怖い神様でもあるんだ。ありがたいけれども怖い面もあるということは、遠野物語でも触れられています。
遠森■ なるほどね。ちなみになぜオシラサマというの? 名前に由来とかはあるのかな。
亀田● うん、あるよ。先に起きることをあらかじめ「お知らせ」してくれるから、「オシラサマ」なんだといわれてる。
たとえば、きょうはどっち方面に行くと狩猟がうまくいくとか、お天気を占ったりとかね。
遠野には「ベロベロのかぎ」といって、ワラを折ったものを回して、方向を占ったり、遊んだりする風習があるんだけど、オシラサマも同じように回して占ったりするんだ。
「きょうはどっちに獲物がいる?」といって回して、止めたところで、頭が向いた方角を選んで猟に行くとか、そういう占い方をしていたそうです。
それで、オシラサマの南限は富岡市、世界遺産の製糸場で有名なところね。あそこまで達してます。
遠森■ えー!? 富岡製糸場・・・ってことは群馬県の富岡? そんなに南下するの?
亀田● うん、ビックリでしょ。私このあいだ製糸場を見学に行って、いろんなお話をうかがったんだけど、富岡にも昔、オシラサマ信仰があったらしいんだ。
あの製糸場は明治5年に操業を始めていて、そのとき近隣の養蚕農家のなかに、オシラサマをしている家があったんだって。だから少なくとも近代、明治時代まで、富岡のオシラサマは継承されていたわけだね。
見学のとき案内してくれたガイドさんが、「こんど詳しい資料を送ります」と言って下さったので、それを読めればもっと詳細が分かるはずなんだけど、ご多忙のようでまだ届いてなくて・・・。
遠森■ いやー、でも富岡でオシラサマやってたというのはすごい発見だな。
私はてっきり遠野独自の風習かと思ってたから、さっき青森まで北上するというのを聞いて驚いたばかりなのに・・・。
亀田● うん。関東地方、群馬の富岡まで南下しているんだよ。
というかこれ、どこそこ地方独自というタイプの伝承ではなくて、養蚕がさかんな地域には広く伝わってたんじゃないかな。
まあ全部とは言わないまでも、オシラ信仰に類するものはあったと思うよ。遠野物語にも、オシラサマは養蚕の神様でもあったと書かれているし。
遠森■ なるほどね! オシラサマは実に遠野らしい伝承だと思っていたので驚きだわ。映画の「遠野物語」でもオシラサマはかなり強調されていた。
亀田● そうだね。ポスターもオシラサマだったし、角川文庫の当初の表紙も、ポスターの絵柄を使っていたしね。
I◆ この曲ですね。この曲がオシラサマです。
(会場のBGMで、ちょうど姫神せんせいしょんの『オシラサマ』が流れはじめた)
遠森■ 姫神せんせいしょん、のちの「姫神」、高校生の頃から大ファンです。
姫神の魅力はたくさんあるけど、わたし的には、意外なテーマにノリノリの旋律を載せちゃうところに、特に惹かれました。
この「オシラサマ」はしっとりした曲だけど、「奥の細道」とか「雪女」とかは・・・
亀田● そうだね。「それをノリノリにしちゃいますか!!」的なところがあるよね。しかも決して奇をてらっているわけでなく、そのテーマをちゃんと表現できているんだ。
遠森■ うん、本当にそう。その「反転の感性」みたいなのがすごく好きで、今もぞくぞくしながら愛聴しています。
亀田● エイトビートとか、ポップミュージック的なところがあるよね。
私もその影響で、きょうのオープニングに使った「オシラサマ」という曲を速いテンポで作ったんです。
遠森■ そうだね! あれはカッコイイ曲に仕上がってた。とてもよかったよ。
亀田● ありがとう!
遠森■ さて、そろそろ、中あいの休憩にしましょうか。
亀田● そうですね。では、今回のセッションでも取り上げた怪異譚「サムトの婆」をテーマにした曲、「サムト」を演奏して、休憩、そのあと第二部としましょう。
遠森■ オープニングの「オシラサマ」と同じく、亀田くん作曲の作品ですね。
亀田● そうです。オシラサマ同様、遠野の伝承をテーマにした曲ですが、少し趣の違う曲調になっています。それでは皆さん、どうぞお聴きください。
(『サムト』演奏、その後休憩)