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♪ オープニング曲「オシラサマ」演奏 ♪
亀田● オシラサマという曲でオープニングです。本日はお運びいただき、ありがとうございます。「ふしぎばなしの夕べ」でございます。
ぼくらが小さいときって、「木曜スペシャル・現代の怪奇」、矢追純一さんですね、あるいは「ビックリっ子大集合」なんて番組、大野しげひささんの司会で。実はあれ、ビックリ特捜班というのがあって、全国の怪異を探しに行くんですけれども、遠野に来たことがあるんです。カッパを捕獲しに。それが、予算がなかったのか、上早瀬橋のところでやってたんですね。あんなとこ、出ません(笑)。
・・・と、そういうオチがあるんですけど、最近は民放、地上波でそういう番組やらなくなっちゃって、寂しいなーっていうのがありまして、それなら自分たちでやっちゃおう、ってのが、今回の趣旨でございます。
今回わたくしがメインのMCをつとめます遠野倶楽部代表、民話のふるさと遠野大使(遠野市観光大使)亀田歩でございます。よろしくお願いいたします。
一同◆ 拍手
亀田● それで本日は、もう40年くらいの付き合いですかね、学生時代から一緒に旅をしたり、創作活動をしたりしてきた遠森慶くん、この二人で・・・。
そもそも私が遠野物語を読むきっかけを作ってくれた一人が遠森くんなんですが、「いつか遠野で『民俗学の夕べ』みたいなことやりたいね」と十九、二十歳くらいのときに語ってましたね。
遠森■ そうだね。
亀田● それが、いつ実現するか分からなかったんですけれども、いよいよ今日、私は齢、来年還暦で、遠森くんは今年60歳だよね。
遠森■ うん。
亀田● 還暦にして夢が叶うという状況でありまして、そんな中、ぼくらの夢に皆さん来ていただいて、ありがとうございます。
遠森■ ありがとうございます。
一同◆ 拍手
亀田● 本日は参加型ですので、ぼくらはあくまでもMCというかキュレーターのつもりでいますので、皆さんの引き出しに入ってる怖い話や、「こんなこと知ってるぞ」みたいなのを披露していただければ幸いです。
ではまず、本日のテーマなんですけども・・・
遠森■ ご紹介にあずかりました、旅行ライターをやっておりました遠森慶と申します。
秋の花粉症にかかってしまいまして、鼻はムズムズするわ、顔や目は赤くなるわでエライ目に遭ってるんですけど、ちょっとお見苦しいところ勘弁してください。これで鼻血が出たら妖怪のしわざということで(笑)。花粉症の薬って鼻が乾くんですよね・・・って、そんなことどうでもいいんですけど。
・・・それで、お化けとか妖怪とか、超常現象とかは、昔から今までずっと続いてるんですよね。皆さんもいろいろ体験があると思います。
でもやはり大人になると、
「そういうのって違うんじゃないかな、科学で説明のつかないものは錯覚じゃないかな」
と思ってしまうんですが、でも今日だけは、これから3時間だけは童心に還って、子供の頃、
「なんかすごいお化けがいたよ」
「ほんと? 俺も会いに行こうかな」
とか、そんなこと、みんなよくやりましたよね。あのころのワクワク・ドキドキモードに戻って、
「お化けなんか居ないんじゃないの」
ではなく
「お化け居たらいいなー」
というムーブでお願いします。
一同◆(拍手)
遠森■ 私は亀田くんに「遠野は素晴らしいところだよ、良いところだよ」とそそのかしておきながら、私自身が遠野に来たのは案外最近でありまして、遠野物語も、読んだのはずいぶん若い頃で、忘れちゃってたりするんですね。
でも彼は、遠野物語に本当に造詣が深くなってますので、彼にちょっと質問をしてみたいと思います。
亀田● はい
遠森■ まず、そもそも東北地方って民話が多いんだけど、遠野は特に多いんだよね。何で遠野の地にこれだけ多く集まったんでしょう。
亀田● これは遠野物語の序文にも出てくる言葉なんですけれども、俗に「七七十里」、7つの街道、七十里からモノや人が集まってくるという、ちょうど遠野というのは、近代交通機関、鉄道や自動車道路が出来る以前から、駄賃付け(馬の背に荷物を載せて運ぶ)とか徒歩とかで物流や旅をしていた時分から、ちょうど中継地点だったんです。
それが証拠に、近代に入ってからも、さきの震災のときも遠野が物資の供給基地になったりしたもので、やはりここが交通の要衝であったということです。そうすると、人の流れがあると、お話もいっしょに入ってくるということですね。
まあ旅をしている人には、多分に胡散臭い六部(ろくぶ)なんていう、まあ六部は宗教者ですけども、胡散臭いところがあって、そういう人が面白おかしく語って、遠野に置いていった部分もあると思うんです。
そんなことで、遠野はお話の吹き溜まりであった、あるいはいろんな職業の人の吹き溜まりであったということが、これだけのエピソードが残ったのだと私は信じています。
遠森■ 六部というのは?
亀田● 行乞(ぎょうこつ)しながら旅する僧、乞食坊主みたいな感じですね。近代的なところでいうと、種田山頭火(たねだ さんとうか)みたいな人だと思っていただければと思います。
遠森■ なるほどね。いろんな街道が集まっているから、いろんなところから旅人や商人が来て、「こんな経験したよ」とか「あんなお化けが居たよ」とか、面白おかしく語っているうちに集まっちゃった。
亀田● そうですね、なにしろ峠を越えてきますので・・・。峠って暗かったり怖かったりするので、錯覚か本当かは分かりませんが、いろんな怪現象を体験して、「いやぁ俺、どこそこ峠を通ったときこんな体験をしたよ」「こんなことがあったよ」なんていうことが語り継がれたんだと思いますね。
遠森■ そういえば遠野市立博物館、あそこに「峠の音」を再現して聞けるコーナーが、最近できたんですよ。釜石から遠野に至る山道を、夜に越えてくる商人が聞いた「音」を再現して、聞けるコーナーです。
あれをこのあいだ、私、体験したんですけど、恐ろしいですね。昔の山というのは、オオカミの遠吠えであるとか、妖怪の声とまごうばかりの音が、グワー、ウォー、ドンドン、バリバリと聞こえてきて、あれは狂いますね、現代の我々が夜の山を歩いたら。
・・・だもんで、当時の商人というのはあれを聞きながら遠野に入ったわけで、そりゃあお化けの話も出るだろうなと。
亀田● ある笛の名人が夜、仲間たちとともに境木峠を越えているとき、笛を吹いたら、谷底から「面白いぞー!」という声が聞こえてきて、全員蒼白になったというエピソードが、遠野物語にあります(遠野物語九)。
遠森■ 今でもそういう話、あるよね。ネットにそういう話、よくありますね。
亀田● あるある。ネット民俗学みたいなの、ありますね。
【 黄昏時少女消失譚 】
遠森■ では、遠野物語のなかから、亀田くんが印象に残った話を挙げてください。
亀田● きょうは大和書房で、昭和42年の、増補版の復刻版を持ってきていて、これ盛岡の大通りの古本屋で、千円くらいで買えたんですよ(笑)。私は特に好きな話が3つばかりありまして、たとえばこれは幽霊譚なんですけれど、読んでみますね。
「佐々木氏の曾祖母 年よりて死去せし時、棺に取り納め親族集まり来て 其の夜は一同座敷にて寝たり。死者の娘にて乱心の為 離縁せられたる婦人もまた其の中に在りき。
喪の間は火の気を絶やすことを忌むのが所の風なれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裡の両側に座り、母人は旁に炭籠を置き、折々炭を継ぎてありしに、ふと裏口の方より足音して来る者あるを見れば、亡くなりし老女なり。
平生腰かがみて衣物の裾の引きずるを、三角に取り上げて前に縫い附けてありしが、まざまざとその通りにて、縞目にも見覚えあり。
あなやと思う間もなく、二人の女の座れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取りにさわりしに、丸き炭取りなればくるくるとまわりたり。
母人は気丈の人なれば 振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打ち臥したる座敷の方へ 近より行くと思う程に、かの狂女のけたたましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。其のあまり人々はこの声に睡を覚まし ただ打ち驚くばかりなりしと云えり。(遠野物語二二。便宜上段落を加え、送り仮名などを現代式にした)」
このエピソードですね。お化け、死んだおばあさんが出てきたと、それだけだったら幻かもしれない。しかし炭取りという物体におばあさんの着物の裾が触れて、くるくると回りだしてしまった。「あっ、幻じゃないんだ」という話の怖さがあると思います。
また、この反対もあるんですよ。これも幽霊譚なんですけれど、
「これは田尻丸吉という人が自ら遭いたることなり。少年の頃ある夜 常居より立ちて便所に行かんとして茶の間に入りしに、座敷との境に人立てり。幽かに茫としてはあれど、衣類の縞も眼鼻もよく見え、髪をば垂れたり。
恐ろしけれど そこへ手を延ばして探りしに、戸板にがたと突き当り、戸のさんにも触りたり。されど我が手は見えずして、其の上に影のように重なりて人の形あり。
その顔の所へ手を遣れば 又手の上に顔見ゆ。常居に帰りて人々に話し、行燈を持ち行きて見たれば、既に何物も在らざりき。この人は近代的の人にて 怜悧なる人なり。又虚言を為す人にも非ず。(遠野物語八二。同上)」
こんどは逆に、見えてるんだけど触れられない。だけど自分の手の上に人の影が・・・これも怖いですね。
この2つのエピソードは小説家たちもすごく注目しており、三島由紀夫は「小説とはなにか」というエッセイでこのエピソードを書いていて、私はそれを読んだのも遠野物語を読むきっかけになったんです。怖さのリアリズムがありますよね。この2つの幽霊譚が、私は特に気に入っています。
それから神隠し譚ですよね。サムト(寒戸)。皆さんサムトはご存知ですよね。正確には「ノボト」という地名なんですけれども、これはおそらく柳田の演出だと思います。サムトのほうが何となく響きもいいし、怖さもありますし。サムトの婆、ここにイラストがありますけれども・・・。
遠森■ サムトというのは、寒い戸と書くんですね。
亀田● はい。実際には登戸と書いてノボトなんですけれども。
遠森■ ノボトのほうが原典、佐々木くんから聞いたときの・・・
亀田● そうです。あるいは、佐々木喜善さんが訛りが激しかったので、聞き違いもあったかなと。たとえばツキモウシ(附馬牛)をツクモウシと書いてしまったんですね。「ツグモーシ」って聞こえたんでしょう。
遠森■ なるほど、それで「登戸」は、柳田先生が書き記すときに、ちょっと文学的センスもあって、寒い戸のほうが雰囲気があるだろうということで、これが遠野物語に。
亀田● そうですね。若い女性が神隠しにあって、三十数年たって戻ってきたら、すっかり老いさらばえて、お婆さんになっていたという話です。
その日が非常に風が強かったので、遠野地方では吹雪の日に「サムトの婆が来そうだな」と言っているということを、柳田は書いているのですね。
これは不思議で、神隠しにあったときの彼女の歳は十いくつでしょうから、三十年後なら四十歳代のはずなんですけど、すっかり老婆になっていたという・・・。おそらく山のモノにかどわかされたと思うんですけれど、時間も超越していたのかなという、非常に不思議な話ですね。
遠森■ このセッションをするにあたり、「黄昏時少女消失譚」という言葉を私、勝手に考えたんですけれども、昔から夕暮れ時に女の子が消えるという現象があります。
もちろん事故とか誘拐とかもあるんですけれども、ここではそれらを除外し、帰ってきちゃったケースですね、
これ、特徴的なのは「時差」ができるんです。女の子としてはほんの10分くらいだと思っていたのが、帰ってきたら1ヶ月たっていたとか、そういうのが昔からあるんですよ。世界的にあります。これは非常に不思議なことで、男の子も消えるんだけども、女の子のほうが消えやすい。
それで、皆さん、日本で年間の行方不明者って、何人くらいいると思いますか? 帰ってきたケースも含めてですけれども、どれくらいいると思いますか。
亀田● 近代ですか?
遠森■ 近代、現代です。年間の行方不明者。1万人以上いると思う方、手を挙げてください。
一同◆ 約半数が挙手
遠森■ あ、やはりいると思われますね。では5万人以上ではどうでしょう。
一同◆ 1~2人が挙手
遠森■ ありがとうございます。1万人以上、5万人以下というあたりが、多くの方のご推測だと思うんですけれども、実は毎年8万人以上が行方不明になっているんです。
亀田● それは警察に届けられた数?
遠森■ そうです。だから届けられてないケースをいれると、とんでもない数が行方不明になっているんです。ただ、幸いなことにほとんどが帰ってきています。
帰ってこない事例はわずかなんですけれど、たとえばお年寄りが徘徊して行方不明になったとか、女の子が誘拐されたり迷子になったりして帰って来られないケースで、これは悲しいことです。
しかし、帰ってきたケースの中に、本当にどこへ行っていたのか分からない、そして自分は数十分しかたっていないと思っていたのに、実際には何ヶ月もたっていたというケースがあるんですね。
・・・少女消失譚のイラスト、消していいですね。消します。
亀田● 「消失」します(笑)
(次のイラストのためにホワイトボードのサムトを消す)
遠森■ この黄昏時少女消失が大規模に起こったのが、90年代中頃のお隣・韓国でして、私その時期、韓国でよく取材の仕事をしていたんですけど、同時多発的に少女消失が起きたんですね。
ただし全員帰ってきました。そして不思議なのが、全員が同じものを見て、全員が時差を経験しています。
90年代中頃というのは、インターネットが出てきたけれども、使っているのは主に専門家で、小中学生はそんなの持っていません。せいぜいポケベルですね。ポケベルも中学生はほとんど持ってなかったです。
(ボードに韓国の略図と、消失事案の発生地点を描く)
朝鮮半島がこんなふうにあって、このようにいろんな地方で、半年間くらいに集中して起きたんです。・・・で、当時の韓国はワイドショーみたいな番組が少なかったんですね。だからこの少女消失の同時多発も、あまり話題にならなかったんですけど、わずかな番組はこれを報道し、警察からの報告もありました。
それで、今だったら、一人が「わたし、こんな変なものを見て、消えちゃったんだ」とSNSで言って広まったら、他の子も「じゃあわたしも同じように消えたことにして、バズっちゃおうかな」という連鎖が起きますよね。でも、そういう環境がいっさい無かった頃のことです。
(発生地点を指さして)こことここと、こことここと・・・この女の子たち、まったく縁がなくて、いっさい連絡のしようがありません。他人です。だからこういう現象が同時多発するわけがないんです。
さらにもっとおかしなことは、サンシン(山神)ハラボジというんですけど、日本的には「山の神のおじいさん」ですね、その像を見ているんです。
女の子がこう立ってますね、そうすると、こういうふうに光の輪が見えて、そこに山神ハラボジの顔が時計盤のように並んで光っている。
山神ハラボジは、日本でいうと仙人のような顔です。その顔がいくつも輪になって光っているのを見るんです。これは下校途上、夕方で、すべて山に近い道で起きました。山に近いところで、一人でこれを見るんです。
しかも見ていて怖くない。怖くないどころか、見ているうちに気持ちが良くなってきて、その場で気を失ってしまいます。そして気がついたら夕暮れが深くなってきているので「いけない、お手伝いしないと叱られちゃう!」といって家に帰ります。
そうすると、もう何ヶ月~何年もたっていて、「あっ、帰ってきた!」と家族に抱きしめられたり、ひどい場合は自分の葬式が出てたりする。そういうことがあったんですね。
でもこの子たち、ぜんぜんお腹もすいてなくて元気なんですよ。「もしかしたら犯罪の可能性もあるんじゃないか」と疑われて、保健所で身体検査されるんですけど、暴行された痕とかはまったくない。全員、健康で元気なんです。どうしてこんなことが同時多発的に起きたのか、さっぱり分からないんですね。
年齢は10~13歳くらい。私、このセッションのフライヤー(2作目)に「よわい十五までは神」と書きましたけども、ふつう「七歳までは神」とよく言われるんですね。
七歳までの子どもは、幽霊の世界や神の世界に近い。グラデーション状につながっている、と言われるんですけど、もうちょっと行くだろうと。だいたい中学卒業するくらいまでは行くだろうと思うんです。
・・・で、この同時多発消失の子たちも全員その年代で、全員が同じものを見て、失神して、数ヶ月か数年後くらいに帰って、「不思議だけど何ごともなくて良かったね」ということで収まりました。
亀田● その子たちはその後、健康に暮らしてるの?
遠森■ みんな健康に暮らしてます。大丈夫です。
韓国には、矢追純一シリーズのような番組でオカルトが盛り上がった経緯がないので、それほど騒がれなかったんですけど、同時多発少女消失事件、こういう出来事が90年代にありました。
さて、これについて亀田くん、いかがですか。


「ふしぎばなしの夕べ」前半p.1
主催 / 遠野倶楽部 ( facebook )
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2024年の秋、民話の里・岩手県遠野市でトークセッションを行いました。
話者はワタクシ遠森慶と、観光大使の亀田歩くん。テーマは「いまも続く遠野物語」ということで、身近な不思議現象や、都市伝説、おばけや妖怪などいろいろです。
市の公式キャンペーン「遠野まちなか妖怪festival2024」の「見て聴いて」部門にも認定され、遠野テレビの方々も取材に来てくださいました。
また、SNSはもちろん、ご当地遠野や盛岡、仙台や東京大阪と、多くの都市のタウン誌でご紹介いただき、当日は予想をはるかに上回る盛況で満席。最大時は立席のお客さんもおられるほど、各地からご来駕いただきました。
本項は、そのセッションを書き起こしたものです。「読みもの」としてお楽しみいただけるよう、文語の調整、および加筆を施しています。(会場ではノリにまかせてしゃべってても、ホワイトボードの活用や話のトーンによって伝わるんです。でもこれを文章にそのまま起こすと、やっぱり読みにくい箇所が出てくるんで・・)
なお、名前はワタクシと亀田くんと、ゲストの臼澤さんのみ表記し、一般参加の方々はイニシャルにしました。
前半はふしぎ体験・オカルトトーク、後半は臼澤さんによる東日本大震災のお話となります。
前半の終わり(7p最下部)で表示が出ます。震災がPTSDになっている方は後半の閲覧をお控えください。
